ふる日、ある婦人がその飼っていた十姉妹《じゅうしまつ》の四羽とも一度に死にかかったのを手のひらへのせて一生懸命|火鉢《ひばち》で暖めていた。見ると、もう全く冷たくなってしまっている。しかし、「たとえだめでもそうしないと気がすまない」のだという。「人間が死んだらお経をあげると同じじゃありませんか」とその人はいう。
 こういう唯心論者もまだ少しはいるのである。

       六

 ある大学講堂の前へ突き当たって右の坂道へおりようとする曲がり角《かど》に、パレットナイフのような形の芝生《しばふ》がある。きちょうめんにちゃんと曲がり角を曲がってあるくのと、その芝生の上を踏みにじって行くのとで、歩く距離にすれば三尺とはちがわない。しかし多くの人がその三尺の距離の歩行を節約すると見えて芝生がそこだけ踏みつぶされてかわいそうにはげている。この事を人に話したら、それは設計が悪いのだという。そんな所へ芝生をこしらえるのが間違っていると言われてなるほどそれもそうかと思った。
 上野《うえの》竹《たけ》の台《だい》の入り口に二つ並んで噴水ができた。その周囲の芝生に立ち入るなと書いた明白な立て札はあるが、
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