だ一面に鈍い鉛のような灰色の屋根の海であった。それが、震災後はいったいにあたたかい明るい愉快な色の調子が勝って来た。それと同時にそういう所で仰ぎ見る空の色が以前よりも深く青く見えだしたような気がする。これはコントラストのせいであろう。これほど著しい色彩の変化が都人の心に何かの影響を及ぼさないはずはないという気がする。
実際は東京の空気は年々に濁るはずである。自動車のガソリンの煙だけでも霧の凝縮核を供給することはたいしたものであろう。寒い曇天無風の夜|九段坂上《くだんざかうえ》から下町を見るといわゆるロンドンフォッグを思わせるものがある。これも市民のモーラルを支配しないわけにはゆかないであろう。
五
上野《うえの》のデパートメントストアの前を通ったら広小路《ひろこうじ》側の舗道に幕を張り回して、中に人形が動いていた。周囲に往来の人だかりのするのを巡査が制していた。なんとなく直感的にその幕の中には人が死んでいそうな気がしたが、夕刊を見るとやっぱり飛び降り自殺であった。あまり珍しくないそれであった。
それから数日後にまた同じ屋上庭園から今度は少しばかり前とちがって建物
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