簔虫と蜘蛛
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)楓《かえで》が

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)闘争|殺戮《さつりく》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)えにしだ[#「えにしだ」に傍点]の
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 二階の縁側のガラス戸のすぐ前に大きな楓《かえで》が空いっぱいに枝を広げている。その枝にたくさんな簔虫《みのむし》がぶら下がっている。
 去年の夏じゅうはこの虫が盛んに活動していた。いつも午《ひる》ごろになるとはい出して、小枝の先の青葉をたぐり寄せては食っていた。からだのわりに旺盛《おうせい》な彼らの食欲は、多数の小枝を坊主にしてしまうまでは満足されなかった。紅葉が美しくなるころには、もう活動はしなかったようである。とにかく私は日々に変わって行く葉の色彩に注意を奪われて、しばらく簔虫の存在などは忘れていた。
 しかし紅葉が干からび縮れてやがて散ってしまうと、裸になったこずえにぶら下がっている多数の簔虫が急に目立って来た。大きいのや小さいのや、長い小枝を杖《つえ》のようにさげたのや、枯れ葉を一枚肩にはおったのや、いろいろさまざまの格好をしたのが、明るい空に対して黒く浮き出して見えた。それがその日その日の風に吹かれてゆらいでいた。
 かよわい糸でつるされているように見えるが、いかなる木枯らしにも決して吹き落とされないほど、しっかり取りついているのであった。縁側から箒《ほうき》の先などではね落とそうとしたが、そんな事ではなかなか落ちそうもなかった。
 自分は冬じゅうこの死んでいるか生きているかもわからない虫の外殻《がいかく》の鈴成りになっているのをながめて暮らして来た。そして自分自身の生活がなんだかこの虫のによく似ているような気のする時もあった。
 春がやって来た。今まで灰色や土色をしていたあらゆる落葉樹のこずえにはいつとなしにぽうっと赤みがさして来た。鼻のさきの例の楓《かえで》の小枝の先端も一つ一つふくらみを帯びて来て、それがちょうどガーネットのような光沢をして輝き始めた。私はそれがやがて若葉になる時の事を考えているうちに、それまでにこの簔虫《みのむし》を駆除しておく必要を感じて来た。
 たぶんだめだろうとは思ったが、試みに物干し竿《ざお》の長いのを持って来て、たたき落とし、はね落とそうと
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