ある。でも曲の体裁を知るためと思って我慢して聞いていると、店員が何かぐあいでも直すためか、プラグを勝手に抜いたりまたさしたりするのでせっかくのシンフォニーは無残にもぶつ切れになってしまった。
 こんな行きがかりで自然ラディオというものに対する一種の恐れをいだくようになってみると、あの家々の屋上に引き散らしたアンテナに対しても同情しにくい心持ちになる。しかしそういう偏見なしにでもおそらくあれはあまり美しいものではない。物干しざおのようなものにひょろひょろ曲がった針金を張り渡したのは妙に「物ほしそう」な感じのするものだと思う。あんなことをしないでもすむ方法はあるそうである。
 ラディオをいじくっているうちに自分で放送がしたくなって来て、とうとういたずらの放送をはじめ、見つかってしかられた人がある。しかしこういう人はたのもしいところがある。
 現象の本性に関する充分な知識なしに、ただ電気のテクニックの上皮だけをひとわたり承知しただけで、すっかりラディオ通になってしまったいわゆるファンが、電波伝播《でんぱでんぱ》の現象を少しも不思議と思ってみる事もなしに、万事をのみこんだ顔をしているのがおかし
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