ていて、そうしてこれらの悪句を巧みに拾い上げて插入し活用したのかもしれない。試みにこれらのへんな句やいやな句を抹殺《まっさつ》してそれを美しいやさしいさびしおりにみちた句ばかりに作り変えることができたとする。そうしてみた後にわれわれは、事によると、せっかくのその修正の成果が意外にも単調一律なよそ行きの美句の退屈なる連鎖になりおおせたことを発見して茫然《ぼうぜん》自失するようなことになりはしないか。
 連句と音楽とのいろいろな並行性を考えるときに、いつも私の痛切に感じる一つの点は、歌仙の終局の数句の推移の感じが実によく楽曲の終節の感じに似ていることである。曲の最後に打ち止めの主和弦《しゅかげん》が端然として響く前にあらかじめ不協和な一団の音群があって、それから最後の和弦への推移がいわゆる「解決《アウフレーズング》」によってきわめて自然に行なわれて、たとえば肩の凝りがすうととけるように感じる、そうしてそれによって終局|安堵《あんど》の感じが明瞭《めいりょう》に印銘される。ところが連句の最後の花の座の直前一二句の複雑な曲折から、花の座を経過して最後の短句に入ってゆるやかに静かに終局するあの心持ちが実によくこの楽曲終節の感じに似ているのである。
 これと同様なことは歌仙の他の部分と楽曲のこれに対応する部分についてもある度までは言われるように思う。
 このような、かりに「和声的《かせいてき》要素」とでも名づくべきものは、普通の詩歌の中にでもしいて求むればある程度までは求められないことはないかもしれないが、しかしそれは前の律動的要素や旋律的要素と同様に従属的なものである。しかるに連句の場合にはこれが本質的な第一義的の主要素であってこれを取ってしまえば連句はなくなってしまうのである。
 以上述べたところを約言してみると、連句は音楽と同じく「律動《リズム》」と「旋律《メロディー》」と「和声《ハーモニー》」をその存立要件として成立するものである。そうして音楽の場合の一つ一つの音に相応するものがいろいろの物象や感覚の心像、またそれに付帯し纏綿《てんめん》する情緒である。これらの要素が相次ぎ相重なって律動的旋律的和声的に進行するものが俳諧連句である。従ってこれらの音に相当する要素には一つ一つとしての「意味」はあっても一編の歌仙全体にはなんらの物語の筋は作り上げない。筋はあってもそれはもはや言葉では言い現わされない、純音楽的な進行の筋である。
 このように、連句は文学であるよりは、より多く音楽である。近代のわが国の文学者が俳諧連句の存在を認めなかったのはむしろ当然であるかもしれない。しかしそうかと言っていわゆる音楽者のほうでは楽器や人間の声帯の発する音以外のものはいっさい取り扱わないのであるから、連句はもちろん音楽者からも顧みられない。
 舞踊と連句とも、やはりその音楽的要素においてかなりよく似た点があると思うのであるが、舞踊家も舞踊の研究者もいまだかつてこのわが国に特有な音楽的芸術としての連句に一瞥《いちべつ》を与えようとしない。
 近代のモンタージュ映画は次第に音楽的、連句的の方面に進展しているように見える。たとえば最近に見たソビエト映画の「春」のごときもそうである。特にこれには「季題感」が背景として動いているところに俳諧的な感じが強い。そうして、律動的旋律的|和声的《かせいてき》の進行を企図している点も実に連句的である。ただこの「春」と「炭俵」「猿蓑《さるみの》」等の中の歌仙とを対比して見ると、私はいかに前者がまだ幼稚で、いかに後者が洗練されているかに驚嘆するものである。それにかかわらず、わが国の映画界や多数の映画研究者・映画批評家はいたずらに西洋人の後塵《こうじん》を追蹤《ついしょう》するに忙しくて、われわれの足元に数百年来ころがっているこのきわめて優秀なモンタージュ映画の立派なシナリオの存在には気づかないように見える。あるいは気がついても認めたくないのかもしれない。そうしてプドーフキンがどう言った、エイゼンシュテインがどう言ったと言わなければ収まらないように見える。
 かようにして連句芸術は、文学者からも音楽家からも映画界からも閑却されて、あたかも過去の幽霊のごとくなってしまった。由来現今の日本人はすべてのものの批判の標準を西洋人の頭の中へ置くのであるから、西洋人の全然知らない従って称揚しない連句が問題にならないのもやむを得ない次第であろう。そのうちにだれか西洋で毛色の変わった日本学者がこの連句芸術を「発見」して、これを驚嘆し礼賛《らいさん》し宣伝する日が来るかもしれない。そうすると、ちょうど荷物の包み紙になっていた反古《ほご》同様の歌麿《うたまろ》や広重《ひろしげ》が一躍高貴な美術品に変化したと同様の現象を呈するかもしれない。ただ困った事には、目で見ればわかる絵画とちがって、「国語」を要素とする連句がほんとうに西洋人に「わかる」見込みはなかなか容易にはなさそうである。そうしてみると結局日本人の西洋本位思想が少しでも減退してほんとうの国民的自覚が勃興《ぼっこう》しない限り、連句が日本人自身から正当に認められる日の来るのはなかなか待ち遠しいかもしれない。考えてみると情けない次第である。
 しかしまた考えてみると、西洋人のまねをして西洋の理論の代弁をするような情けないできそこないの日本人は、日本国民の中ではむしろ比較的少数な特殊階級の人間である。国民の大多数はやはり純良種の日本人であって米の飯とたくあんを食い、われら固有の民謡をうたい、われらの踊りを踊っている。そうして連句に現われているそのままの日本人の生活をまさしく生活しつつあるのである。従ってこれらの大多数の純日本人は当然に俳諧連句に対する先天的の理解力も創作能力も付与されているのである。ただ現在では彼らの耳目の及ぶ範囲のそとに連句が放逐されているために、彼らはこの者の存在を全く忘れてしまっているのである。神田《かんだ》を歩いてあの数多い書店の棚《たな》から棚とあさって歩いて見ても、連句に関する書籍の数は全体の何万分の一にも足りない少数である。日本人でありながらロシア人やアメリカ人になったような気持ちで浮かれた事を満載した書物はよく売れると見えて有り過ぎるほどあるのに、連句の本などはミイラかウニコーンを捜す気で捜さなければ見つからない。これが何よりの証拠である。ただ近来少数ではあるがまじめで立派な連句に関する研究的の著書が現われるのは暗夜に一抹《いちまつ》の曙光《しょこう》を見るような気がして喜ばしい。しかし結局連句は音楽である。音楽は演奏され聞かれるべきものである。連句の音楽はもう少し広く日本人の間に演奏され享楽されてしかるべきである。
「連句と音楽」という題目のもとに考えらるべき事はまだたくさんにあるが、それらについてはさらに項を改めて詳しく述べてみたいと思う。上述の未熟な所説についてはさらに考え直さなければならない不備の点も多いことと思われるので、それらの点については読者の示教を仰ぎたいと思うのである。
[#地から3字上げ](昭和六年四―五月、渋柿)

     三 連句と合奏

 連句の文学的作品としての著しい特異性の一つと見るべきことは、それが一つのまとまった全体を形成しておりながらその作者は必ずしも一人の人間でなくてむしろ一般には数人の一団より成る「集合人」であるということである。近ごろの言葉で言えば一種の共同制作によってできあがるものだということである。
 漢詩でもたまには数人の合作になるものはあるようである。近ごろはひとつづきの小説を数人の作者が書き続けて行くのもあるようである。これらの場合その作者たちにとっては、行く先がどういうふうに成り行くものか見当がつかないで、そうしていろいろと思いもかけない方向に発展して行くという好奇的な享楽は多分にあるかもしれないが、できあがった結果をその制作過程を知らない読者のほうから見た場合にはたいていはなはだあっけのないものになってしまっているのが多いようである。できあがったものは形式上普通の詩や小説と全く同じであるから読むほうではそういうつもりで読み、またそういうものとしての論理や性格やの統一を要求しているのに、内容にはどうしてもどこかに分裂があり齟齬《そご》があるのを免れ難いからである。連句の場合ではこれと反対に読者のほうで初めから普通の詩や小説のように話の筋や論理的の連結を期待せず、また期待してもそういうものはどこにもない。そうして前条に詳説したようにたださまざまの景象や情緒の変転して行く間に生まれ来る「旋律」と「和声」とを聞かされるのである。従ってこの間に錯雑して現われて来るいろいろな作者のそれぞれちがった個性はなんらの破綻《はたん》を生じないのみか、かえってちょうどいろいろ違った音色をもつ楽器のそれぞれの音のような効果をもって読者の胸に響いて来るのである。
 前者では一つの個性が分裂し破壊した感じを与えるのに対して、後者では多数の個性が融合調和して一つの全体を構成しているように感じられるのである。前者では往々たとえば一人の歌手の声が途中で破れていわゆる五色の声を出すような不快な感があるのに、後者では、いろいろの音域の肉声や楽器の音の集まった美しい快い合奏を聞くような感じを与えるのである。もし詩や小説の合作がまれに非常にうまく成効した場合にはどうかと言えば、それは畢竟《ひっきょう》言わば作者Aと作者Bとの共同によって成り立った「共通人」Cといったような一人の仮想的個人の詩か小説であるのと何も変わったことはないであろう。
 ここで考えているような立場からすれば、普通の文学的作品は一種の分析《アナリシス》であるのに対して連句は一種の編成《シンテシス》であるとも言われる。前者は与えられた一つのものに内在する有機的構造を分析展開して見せるに対して、後者は与えられた離れ離れの材料からそれによって合成されうべき可能の圏内に独創機能を働かせて建築を構成し綾錦《あやにしき》を織り成すものだとも言われないことはないのである。こういう意味でも連句はやはりいちばんよく楽曲に似ている。そうして多数の作者より成る連句はまさに一つの管弦楽に類していると言ってもはなはだしい不倫の比較ではあるまいと思われるのである。ただ一種の楽器のあまり長い独奏は聴者の倦怠《けんたい》をきたしやすい。もっともピアノなどにはしばしば相当長い独奏曲があるにはあるが、これはしかし、見方によれば常にあまたの同時に響く音の並行であって、肉声ならばちょうど四部合唱のようなものを一つの器械を借りて一人の手で奏しているようなものである。実際、ピアノの高いほうの音と低い音のほうではいわゆる「音色」の感じにもいくらかの違いがあると考えれば考えられなくもないのである。それでもピアノの大曲となればやはりコンツェルトのように管弦が添うのが常である。合奏として見た連句で、三人ないし四五人までの共同制作になるものに比較さるべきものとしては各種のいわゆる「室内楽」がある。すなわち三重奏《トリオ》、四重奏《カルテット》、五重奏《クインテット》と称するのがそれである。二人だけの連吟はもちろん二重奏《デュエット》であるが、場合によっては一方が独奏で他方は伴奏のような感じを与えるものさえもないではない。
 試みに芭蕉七部集をひもといて二三の実例について考えてみる。まず試みに「炭俵」上巻の初めにある芭蕉|野坡《やば》の合奏を調べてみると、「むめが香にのっと日の出る山路かな」の発句にはじまって、「屏風《びょうぶ》の陰に見ゆる菓子盆」の揚げ句に終わる芭蕉のパートにはいったいにピッチの高いアクセントの強い句が目に立つ。これに相和する野坡のパートにはほとんど常に低音で弱い感じが支配しているように思われる。「家普請《やぶしん》を春のてすきにとり付いて」(野)の静かな低音の次に「上《かみ》のたよりにあがる米の値」(芭)は、どうしても高く強い。そうして「宵《よい》の内はらはらとせし月の雲」(芭)と一転しているのは一見
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