る事について私は従来もすでにたびたびいろいろな機会に述べたことがあるが、ここでもう一度改めてこの点について詳しく考え直してみたいと思う。
もっとも、なんと言っても音楽は音楽、連句は連句であるから、あまり無理な比較をしようとすれば結局はなはだしい付会に陥るにきまっている。これについては最初から用心してかかる必要がある。しかしこの用心を頭の中に置いた上で、試みにいかなる程度まで、いかなる方向にこの比較が可能であるかを一応当たってみるのは無意義ではないであろう。少なくもそうしてみることによってわれわれは連句というものの本質をなんらかの新しい光のもとに見直す事ができるかもしれない。そうして連句のこれからの進むべき道程に関するなんらかの暗示を得る機縁に探り当てるかもしれないと思うのである。
連句に限らずすべての詩歌、ただし近ごろの先端的とか称する奇妙な不規則な詩形の化け物はひとまず除外するとして、普通の古典的の意味においてのすべての詩歌は、皆共通な音楽的要素をもっている。それはまず第一に時間的なリズムである。しかしこれがあるというだけならば連句も他の詩歌も別に変わったことはないようである。し
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