を客観する、そこに始めて俳諧が生まれるのである。旅には渡渉する川が横たわり、住には小獣の迫害がある。そうして梨《なし》を作り、墨絵をかきなぐり、めりやすを着用し、午《ひる》の貝をぶうぶうと鳴らし、茣蓙《ござ》に寝《い》ね、芙蓉《ふよう》の散るを賞し、そうして水前寺《すいぜんじ》の吸い物をすするのである。
このようにして一連句は日本人の過去、現在、未来の生きた生活の忠実なる活動写真であり、また最も優秀なるモンタージュ映画となるのである。これについてはさらに章を改めて詳しく論じてみたいと思う。
ともかくも、俳諧連句が過去においてのみならず将来においても、必然的に日本国民に独自なものであるということは、以上の不備な所説でもいくらかは了解されるであろうと思う。そうして、かのチャンバレーン氏やホワイマント氏がもう少しよく勉強してかからないうちは、いくら爪立《つまだ》ちしても手のとどかぬところに固有の妙味のあることも明らかになるであろうと思う。
[#地から3字上げ](昭和六年三月、渋柿)
二 連句と音楽
連句というものと、一般に音楽と称するものとの間にある程度の形式的の類似があ
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