の階梯《かいてい》として洗練に洗練を重ねた上で付け句ができあがるべきはずである。
そういう階段としてはその連想がいかに突飛であってもそれはなんのさしつかえもない、最後の成果がよければよいのである。たとえば「雪の跡吹きはがしたるおぼろ月」の前句を見てふいと「蒲団《ふとん》」という心像が現われたとしても、だれがそれをとがめうるものがあろうか、まただれがその心像の由来の合理的説明を要求するであろうか。その連想の底に雪雲と蒲団との外形的連想がありあるいは「はがす」という言葉が蒲団を呼び出したとしてもそれは作者の罪ではない。ともかくもその突然な「蒲団」の心像を踏段として「蒲団丸げてものおもい居る」という句ができあがってしまえば、もはやそんな連想は必ずしも問題にしなくてよい。読者にとってはむしろ問題にしないほうがよいのであろう。そうして単に雪後の春月に対して物思う姿の余情を味わえば足りるであろう。
連想には上記のように内容から来るもののほかにまた単なる音調から来る連想あるいは共鳴といったような現象がしばしばある。これはわれわれ連句するものの日常経験するところである。全く無意識に前句または前々句
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