を立てて考えなければ一連の連句を充分に分析し正当に理解することはできないであろう。
従来連句の評釈をしたものを見ても、この区別を判然と立てないためにいろいろの疑問が起こったり議論があったりする場合が多いように思われる。多くの場合に創作者の心理分析に傾いた評釈はいわゆる「うがち過ぎ」として擯斥《ひんせき》され、「さまでは言わずもがな」として敬遠されるようである。これは連句を単に鑑賞するだけの立場からはもっともなことであるが、連句というものをほんとうに研究するには不都合な態度である。のみならず自分で連句の創作に手をつけるものにとっては、この点の研究が最もたいせつなものと私には考えられるのである。そればかりか、鑑賞のみの目的でも真に奥底まで入り込んで鑑賞をほしいままにするためには、一度はこの創作心理のミステリーに触れることが必要であろうと思われるのである。われわれは「うがち過ぎ」をこわがらないで「言わずもがな」をけ飛ばして勇敢に創作心理の虎穴《こけつ》に乗り込んでみなければならない。しかしこれはなかなか容易な仕事ではない、一朝一夕に一人や二人の力でできうる見込みはない。そうかと言っていつま
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