そう簡単には言ってしまわれない。というのは、表現ということと素材というものとはそれほど切れ離れたものでなくて、同じ素材でも表現のしかたで完全に別の素材として完全なる役目を果たすことがありうるからである。しかしこの問題もここには手をつけないでしばらくそっとしておく。そうしてもっぱら自分の体験としての素材選択の心理的過程のみについて考えてみているのである。
さて上記の付け句の制作過程は便宜上分析的に整頓《せいとん》してみただけであって、制作当時実際にこのとおりに意識的に行なっているのではない。場合によっては第四次第五次の付け句素材までが一分間ぐらいの間に相次いで電光のごとく現われては消えることもあり、また第一次の付け句の世界に足を踏み込んだきりなかなか抜けなくなり、一日も二日ももがかなければならないこともしばしばあるのである。
このようにして、前句と後句とは言わばそれぞれが錯綜《さくそう》した網の二つの結び目のようなものである。また、水上に浮かぶ二つの浮き草の花が水中に隠れた根によって連絡されているようなものである。あるいはまた一つの火山脈の上に噴出した二つの火山のようなものでもある。
前へ
次へ
全88ページ中44ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング