もしろいものの少ないという事実の所因を考えてみれば、その答解はもう自然に眼前に出て来ることになる。すなわち独吟はちょうど伴奏さえもつかないほんとうの独奏をつづけざまに一時間も聞かされるようなものである。これで倦怠《けんたい》を起こさせないためには演奏者は実に古今独歩の名手でなければならないわけである。次に二重奏連句の二人の作者が、もしその性格、情操、趣味等において互いに共通な点を多分にもっている場合には、句々の応酬はきわめて平滑に進行し、従って制作中のその二人の作者自身の心持ちはきわめて愉快に経過するのであるが、できあがったものを「連句の読者」としての読者の目から見ると、それは事実上結局上述のごとき独吟とほとんど同じようなものになってしまっているべきはずなのである。西洋音楽では同一楽器の二重奏は少なく、あっても非常におもしろいというものはまずはなはだまれであり、それをおもしろく聞かせるにはよほどの名人ぞろいを要するのである。
こういう立場からすると、連句の共同作者としてはむしろその性格、情操、趣味等において互いに最も多様に相異なるしかもすぐれたそれぞれの特徴を備えた一集団を要するとい
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