、古本店、リュクサンブールの人形芝居、美術学生のネクタイ、蛙《かえる》の料理にもどこかに俳諧のひとしずくはある。この俳諧がこの国の基礎科学にドイツ人の及ばない独自な光彩を与え、この国の芸術に特有な新鮮味を添えているのではないかとも思われる。たとえば近代物理学の領域を風靡《ふうび》した「波動力学」のごときもその最初の骨組みはフランスの一貴族学者ド・ブローリーがすっかり組み立ててしまった。その「俳諧」の中に含まれた「さび」や「しおり」を白日の明るみに引きずり出してすみからすみまで注釈し敷衍《ふえん》することは曲斎的なるドイツ人の仕事であったのである。芸術のほうでもマチスの絵やマイヨールの彫刻にはどこかにわれわれの俳諧がある。これがドイツへはいると、たちまちに器械化数学化した鉄筋式リアリズムになるのが妙である。
 ヒアガルの絵のように一幅の画面に一見ほとんど雑然といろいろなものを気違いの夢の中の群像とでもいったように並べたのがある。日本人でもこのまねをするあほうがあるが、あれも本来のねらいどころはおそらく一種の「俳諧」であったに相違ない。ただこれは「時」の俳諧の代わりに「空間」の俳諧を試みて
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