一つの音と見立てる代わりにこれよりはもう少し複雑な見方をすることもできる。元来一つの長句ならば長句の中には、実際いろいろな表象や観念が含まれていて、それらの結合によって一つの複雑な光景なり情緒なりが代表され描写されている。こういう見方からすれば、それらの一句中のいくつかの表象はそれぞれ一つずつの音のようなものであって、これが寄り集まって一つの「和弦《かげん》」のようなものを構成していると見られないことはない。もっとも、ただの一句でもそれを読む時の感官的活動は時間的に進行するので、決して同時にいろいろの要素表象が心に響くのではないが、しかし一句としてのまとまった感じは一句を通覧した時に始めて成立するのであるから、物理的には同時でなくても心理的には「同時」にこれらの各表象が頭に響くので、結局三つか四つの弦を同時に鳴らせた一つの和弦を聞くか、あるいは和弦を分解して交互に響かせるアルペジオを聞く場合と類似の過程である。つまり一つの句をたとえばピアノの譜で縦に重畳した若干の重音の串刺《くしざ》しに相当させることができる。これが大きな管弦楽ならばまたいっそう多数の音が重畳して来るわけであるが、連句
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