もちろん質的の思いつきだけでは何にもならないことは自明的であるが、またこれなしには何も生まれないこともより多く自明的である。西洋の学界ではこの思いつきを非常に尊重して愛護し、保有し、また他人の思いつきを尊重する学者が多いのであるが、わが国ではその傾向が少ないようである。「ただの思いつきである」という批評は多く非難の意味をもって使われるようである。思いつきはやはり愛護し助長させるべきであろう。
 これらはきわめて平凡なことである。それにかかわらずここでわざわざこういうことを事新しく述べ立てるのは、現時の世界の物理学界において「すべてを量的に」という合い言葉が往々はなはだしく誤解されて行なわれるためにすべての質的なる研究が encourage される代わりに無批評無条件に discourage せられ、また一方では量的に正しくしかし質的にはあまりに著しい価値のないようなものが過大に尊重されるような傾向が、いつでもどこでもというわけでないが、おりおりはところどころに見られはしないかと疑うからである。そのために、物理的に見ていかにおもしろいものであり、またそれを追求すれば次第に量的の取り扱いを加えうる見込みがあり、そうした後に多くの良果を結ぶ見込みのありそうなものであっても、それが単に現在の形において質的であることの「罪」のために省みられず、あるいはかえって忌避されるようなことがありはしないか、こういうことを反省してみる必要はありはしないか。
 むしろそういう研究を奨励することが学問の行き詰まりを防ぐ上に有効でありはしないか。
 もちろん多くの優秀なる学徒たちは何もわざわざそういう質的の、容易なようで実はむずかしい実験などをやらなくても、立派に量的であって、しかもおもしろくて有益であるような研究に従事するほうが賢明であり能率が良いと考えるであろうし、またそれはまさにそのとおりである。それだけならば何も問題はないのであるが、しかしもしそういう人たちがかりにそういう人たちとは反対にわざわざ難儀で要領を得ない質的研究をしている少数な人たちの仕事を、意識的、ないしは無意識的に discourage しあるいは積極的に阻止するようなことが、たまにならばともかく、学界一般の風《ふう》をなすようなことがあったとすればどうか、そういう事が実際にあるかないか。これも一応反省してみなければなら
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