などの顔がそれである。しかしまた俗流の毀誉《きよ》を超越して所信を断行している高士の顔も涼しかりそうである。しかしこの二つの顔の区別はなかなかわかりにくいようである。また、少し感の悪いうっかり者が、とんでもない失策を演じながら当人はそれと気がつかずに太平楽な顔をしているのも、やはり涼しい顔の一種に数えられるようである。これなどは愛嬌《あいきょう》のあるほうである。自分なども時々だいじな会議の日を忘れて遊びに出たり、受け持ちの講義の時間を忘れてすきな仕事に没頭していたり、だいじな知人の婚礼の宴会を忘れていて電話で呼び出されたりして、大いに恥じ入ることがあるが、しかたがないからなるべく平気なような顔をしている。これも人から見れば涼しい顔に見えるであろう。
 友人の話であるが、百貨店の食堂へはいって食卓を見回し、だれかの食い残した皿《さら》が見つかると、そこへゆうゆうとすわり込んで、残肴《ざんこう》をきれいに食ってしまって、そうして、ニコニコしながら帰って行くという人もあるそうである。これもだいぶ涼しいほうの部類であろう。
 義理人情の着物を脱ぎ捨て、毀誉褒貶《きよほうへん》の圏外へ飛び出せ
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