るようになりはしないかという気がする。いかに交通が便利になって、東京ロンドン間を一昼夜に往復できるようになっても、日本の国土を気候的地理的に改造することは当分むつかしいからである。ジャズや弁証法的唯物論のはやる都会でも、朝顔の鉢《はち》はオフィスの窓に、プロレタリアの縁側に涼風を呼んでいるのである。
 この日本的の涼しさを、最も端的に表現する文学はやはり俳句にしくものはない。詩形そのものからが涼しいのである。試みに座右の漱石句集から若干句を抜いてみる。

[#ここから3字下げ]
顔にふるる芭蕉《ばしょう》涼しや籐《とう》の寝椅子《ねいす》
涼しさや蚊帳《かや》の中より和歌《わか》の浦《うら》
水盤に雲呼ぶ石の影涼し
夕立や蟹《かに》這《は》い上る簀《す》の子《こ》縁《えん》
したたりは歯朶《しだ》に飛び散る清水《しみず》かな
満潮や涼んでおれば月が出る
[#ここで字下げ終わり]

 日本固有の涼しさを十七字に結晶させたものである。
「涼しい顔」というものがある。たとえば収賄の嫌疑《けんぎ》で予審中でありながら○○議員の候補に立つ人や、それをまた最も優良なる候補者として推薦する町内の有志
前へ 次へ
全11ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング