。ダージリンは知らないがヒマラヤはただ寒いだけであろう。暑さのない所には涼しさはないから、ドイツやイギリスなどでも涼しさにはついぞお目にかからなかった。ナイアガラ見物の際に雨合羽《あまがっぱ》を着せられて滝壺《たきつぼ》におりたときは、暑い日であったがふるえ上がるほど「つめたかった」だけで涼しいとはいわれなかった。
 少なくも日本の俳句や歌に現われた「涼しさ」はやはり日本の特産物で、そうして日本人だけの感じうる特殊な微妙な感覚ではないかという気がする。単に気がするだけではなくて、そう思わせるだけの根拠がいくらかないでもない。それは、日本という国土が気候学的、地理学的によほど特殊な位地にあるからである。日本の本土はだいたいにおいて温帯に位していて、そうして細長い島国の両側に大海とその海流を控え、陸上には脊梁《せきりょう》山脈がそびえている。そうして欧米には無い特別のモンスーンの影響を受けている。これだけの条件をそのままに全部具備した国土は日本のほかにはどこにもないはずである。それで、もしもいわゆる純日本的のすずしさが、この条件の寄り集まって生ずる産物であるということが証明されれば、問題は
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