であろう。夕食後|風呂《ふろ》を浴びて無帽の浴衣《ゆかた》がけで神田《かんだ》上野《うえの》あたりの大通りを吹き抜ける涼風に吹かれることを考えると、暑い汽車に乗って暑い夕なぎをわざわざ追いかけて海岸などへ出かける気になりかねるのである。
もっとも、東京でも蒸し暑い夜の続く年もある。二十余年の昔、小石川《こいしかわ》の仮り住まいの狭い庭へたらいを二つ出してその間に張り板の橋をかけ、その上に横臥《おうが》して風の出るのを待った夜もあった。あまり暑いので耳たぶへ水をつけたり、ぬれ手ぬぐいで臑《すね》や、ふくらはぎや、足のうらを冷却したりする安直な納涼法の研究をしたこともあった。しかし近年は裏の藤棚《ふじだな》の下の井戸水を頭へじゃぶじゃぶかけるだけで納涼の目的を達するという簡便法を採用するようになった。年寄りの冷や水も夏は涼しい。
われわれ日本人のいわゆる「涼しさ」はどうも日本の特産物ではないかという気がする。シナのような大陸にも「涼」の字はあるが日本の「すずしさ」と同じものかどうか疑わしい。ほんのわずかな経験ではあるが、シンガポールやコロンボでは涼しさらしいものには一度も出会わなかった
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