涼味数題
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)横浜《よこはま》であったか

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)長い年月|熊本《くまもと》に勤めていた

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ](昭和八年八月、週刊朝日)
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 涼しさは瞬間の感覚である。持続すれば寒さに変わってしまう。そのせいでもあろうか、暑さや寒さの記憶に比べて涼しさの記憶はどうもいったいに希薄なように思われる。それはとにかく、過去の記憶の中から涼しさの標本を拾い出そうとしても、なかなか容易に思い出せない。そのわずかな標本の中で、最も古いのには次のようなものがある。
 幼い時のことである。横浜《よこはま》であったか、神戸《こうべ》であったか、それすらはっきりしないが、とにかくそういう港町の宿屋に、両親に伴なわれてたった一晩泊まったその夜のことであったらしい。宿屋の二階の縁側にその時代にはまだ珍しい白いペンキ塗りの欄干があって、その下は中庭で樹木がこんもり茂っていた。その木々の葉が夕立にでも洗われたあとであったか、一面に水を
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