ゆるやかに回転しながら朝日にキラキラしていた。それは自分の頭の中でさまざまな美しい夢と結びつけられているあの風車であった。自分の心は子供のようにおどった。そしてこの風車が何かしらいい事の前兆ででもあるような気がするのであった。
 いつのまにか汽車はくすぶった大都会の裏町を通っていた。そして大きな数階の家の高い窓に干してあるせんたく物が目についたりした。午前七時三十五分にアンハルター停車場に着いた。H氏が迎いに来ていていきなり握手をした。それが西洋くさい事には最も縁の遠い地味なH氏であるだけに、妙な心持ちがしたが、これから自分らが入るべき新しい変わった生活の最初の経験として無意味な事とは思われなかった。ドロシケを雇ってシェーネベルヒの下宿へ行く途中で見たベルリンの家並みは、絵はがきや写真で想像したのに比べて妙に鈍い灰色をしていた。空気がなんとなくかすんだようで、日の光が眠っているようであった。そしてなんとなくさびしく空虚な頭の底によどんでいた長い長い旅の疲労が、今にも流れ出ようとしてすきまを求めていた。
[#地から3字上げ](大正十年四月、渋柿)



底本:「寺田寅彦随筆集 第一巻」小
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