いろの本で読んだ覚えのある、そしていろいろの美しい連想に結びつけられたこれらの美しい地名が一つ一つ強い響きを胸に伝える。船が進むにつれて美しい自然と古い歴史をもった市街のパノラマが目の前に押し広げられるのである。子供の時分から色刷り石版画や地理書のさし絵で見慣れていて、そして東洋の日本の片田舎《かたいなか》に育った子供の自分が、好奇心にみちた憧憬《どうけい》の対象として、西洋というものを想像するときにいつも思い浮かべた幻像の一つであったあのヴェスヴィアスが、今その現実の姿をついそこにまのあたり現わしていた。しかし思っていたほどの煙は吐いていなかった。同様に絵で見なれたイタリア松の笠《かさ》をかむったようなのが丘の上などに並んでいるのもなつかしかった。
検疫がすんで桟橋《さんばし》へつくと、案内者がやって来てしきりにポンペイ見物をすすめた。年取ったふとった案内者の顔はどこかフランスの大統領に似ていたが、着ている背広はみすぼらしいものであった。T氏とハース氏とドイツ大尉夫妻と自分と合わせて五人の組を作ってこの老人の厄介《やっかい》になることにした。無蓋《むがい》の馬車にぎし詰めに詰め込ま
前へ
次へ
全54ページ中36ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング