潮に流されて行く。右舷《うげん》に遠くねずみ色に低い陸地が見える。
 日本から根気よく船について来た鴎《かもめ》の数がだんだんに減ってけさはわずかに二三羽ぐらいになっていたが、いつのまにかまた数がふえている。これはたぶんシナの鴎だろう。
四月二日
 呉淞《ウースン》で碇泊《ていはく》している。両岸は目の届く限り平坦《へいたん》で、どこにも山らしいものは見えない。
 シナ人の乞食《こじき》が小船でやって来て長い竿《さお》の先に網を付けたのを甲板へさし出す。小船の苫屋根《とまやね》は竹で編んだ円頂で黒くすすけている。艫に大きな飯たき釜《がま》をすえ、たきたての飯を櫃《ひつ》につめているのもある。その飯の色のまっ白なのが妙に目についてしようがなかった。そしてどういうものか悲しいようなさびしいような心持ちを起こさせた。
 テンダーに乗って江をさかのぼる。朱や緑で塗り立てたジャンクがたくさんに通る。両岸の陸地にはところどころに柳が芽を吹き畑にも麦の緑が美しい。ペンク氏は「どこかエルベ河畔に似ている」と言う。……
 ……宿の小僧に連れられて電車で徐家※[#「さんずい+(匚<隹)」、第4水準2−79
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