村でも、寺の塔だけは高くそびえているのであった。
 二時ごろミラノ着。ホテル・デュ・パルクに泊まる。子供の給仕人が日本の切手をくれとねだった。伽藍《がらん》を見物に行く。案内のじいさんを三リラで雇ったが、早口のドイツ語はよく聞き取れなかった。夏至《げし》の日に天井の穴から日が差し込むという事だけはよくわかった。ステインドグラスの説明には年号や使徒の名などがのべつに出て来たが、別に興味を動かされなかった。塔の屋根へ登って見おろすと、寺の前の広場の花壇がきれいな模様になっている事がよくわかった。しかし寺院はやっぱり下から見るものだと思う。
 ダヴィンチの像の近くのある店先に日本の水中花を並べてあった。それには Fiori magica という札を立ててあった。宿近くの公園を散歩する。新緑の美しさは西洋へ来て以来いちばん目についたものでまた予想以上のものである。何かしら薄紅の花が満開している。そこで子供がディアボロを回して遊んでいた。
 夕飯はまずく、米粒入りのスープは塩からかった。夜またドームの広場まで行く。ちょうど満月であった。青ずんだ空にはまっ白な漣雲《れんうん》が流れて、大理石の大伽藍《だいがらん》はしんとしていた。そこらにある電燈などのないほうがよさそうにも思われた。ドーム前の露店で絵はがきやアルバムを買った。売り子は美しい若い女で軽快な仏語をさえずっていた。
[#地から3字上げ](大正十年三月、渋柿)

     十 ミラノからベルリン

五月五日
 七時二十分発ベルリン行きの D−Zug に乗る。うっかりバーゼル止まりの客車へ乗り込んでいたが、車掌に注意されてあわててベルリン直行のに乗り換えた。
 コモやルガノの絵のような湖も見られた。ボートの上にカンバスをかまぼこ形に張ったのが日本の屋根舟よりはむしろ文人画中の漁舟を思い出させた。きれいな小蒸汽が青い水面に八の字なりに長い波を引いてすべって行くのもあった。
 牧場の周囲に板状の岩片を積んだ低い石垣《いしがき》をめぐらし、出入り口にはターンパイクがこしらえてあった。日当たりのいい山腹にはところどころに葡萄畑《ぶどうばたけ》がある。そして道ばたにマドンナを祭るらしい小祠《しょうし》はなんとなく地蔵様や馬頭観世音のような、しかしもう少し人間くさい優しみのある趣のものであった。西洋でもこんなものがあるかと思ってたの
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