あった。同じようにせつないやるせのないようなものであった。自分はこれを聞きながら窓掛けの外に輝く南国の日光を見つめているうちに、不思議な透明なさびしさといったようなものに襲われたのであった。
 ナポリへ帰って、ポーシリッポの古城もただ外から仰いで見ただけで船へ帰ると、いろいろの物売りが来ていた。古めかしい油絵の額や、カメオや七宝の装飾品などが目についた。双眼鏡の四十シリングというのをT氏が十シリングにつけたら負けてよこした。……五時出帆。少し波が出て船が揺れた。
[#地から3字上げ](大正十年二月、渋柿)

     九 ゲノアからミラノ

五月三日
 朝モントクリストの島を見て通った。鯨が潮を吹いていた。地中海に鯨がいてはいけない埋由はないだろうがなんだか意外な感じがした。昼過ぎから前方に陸が見えだし五時ごろにいよいよゲノアに着いた。
 三十五日間世話になった船員にそれぞれトリンクゲルトを渡さなければならないのに、ちょうど食事時でボーイらは皆食堂へ出ているのでぐあいが悪くて少し気をもんだ。狭い廊下で待ち伏せして一人一人渡すのに骨が折れた。彼らはそれをかくしにねじ込みながら、カイゼルひげの立派な顔をしゃくって 〔Glu:ckliche Reise !〕 などと言った。
 ハース氏は、イタリアの人足はずるくて、うっかりしていると荷物なんかさらわれるからと言って、先に桟橋《さんばし》へおりた自分らに見張り番をさせておいて船からたくさんのカバンや行李《こうり》をおろさせた。税関の検査は簡単に済んだ。自分がペンク氏から借りて持って来た海図の巻物を、なんだと聞かれたから、いいかげんのイタリア語でカルタマリーナと答えたら、わかったらしかった。
 ホテル・ロアイヤールというのの馬車でハース氏の親子三人といっしょに宿へ着いた。ハース氏が安い部屋《へや》をとかけ合ってくれて、No.65 という三階の部屋へはいる。あまり愉快な部屋ではない。窓から見おろすとそこは中庭で、井戸をのぞくような気がする。下水のそばにきたない木戸があって、それに葡萄《ぶどう》らしいものがからんでいる。犬が一匹うろうろしている。片すみには繩《なわ》を張って、つぎはぎのせんたく物が干してある。表の町のほうでギターにあわせて歌っている声もこの井戸の底から聞こえて来た。遠くの空のほうからは寺院の鐘の旋律も聞こえていた。
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