ょばたけ》の中の大道を走って行った。ところどころに孤立したイタリア松と白く輝く家屋の壁とは強い特徴のある取り合わせであった。
 ホテル・ドゥ・ヴェシューヴと看板をかけた旗亭《きてい》が見える。もうそこがポンペイの入り口である。入場料を払って関門を入ると、そこは二千余年前の文化の化石で、見渡す限りただ灰白色をした低い建物の死骸《しがい》である。この荒涼な墓場の背景には、美しい円錐火山《えんすいかざん》が、優雅な曲線を空に画してそびえていた。空に切れ切れな綿雲の影が扇のように遠く広がったすそ野に青い影を動かしていた。過去のいろいろの年代にあふれ出した熔岩の流れの跡がそれぞれ違った色彩によって見分ける事ができるのであった。しかし火山は昔の大虐殺などは夢にも知らないような平和な姿をして、頂上にただあるかなしの白い煙を漂わせているだけであった。
 狭い町は石畳になって、それに車の轍《わだち》が深い溝《みぞ》をなして刻みつけられてあった。車道が人道に接する所には、水道の鉛管がはみ出していた。それが青白くされ※[#「金+嘯のつくり」、第3水準1−93−39]《さ》びて、あがった鰻《うなぎ》を思わせるような無気味な肌《はだ》をさらしてうねっていた。
 富豪の邸宅の跡には美しい壁画が立派に保存されていた。それには狩猟や魚族を主題としたものもあった。大きな浴場の跡もあった。たぶん温度を保つためであろう、壁が二重になっていた。脱衣棚《だついだな》が日本の洗湯《せんとう》のそれと似ているのもおもしろかった。風呂《ふろ》にはいっては長椅子《ながいす》に寝そべって、うまい物を食っては空談にふけって、そしてうとうとと昼寝《シエスタ》をむさぼっていた肉欲的な昔の人の生活を思い浮かべないわけにはゆかなかった。
 劇場《テアトロ》の中のまるい広場には、緑の草の毛氈《もうせん》の中に真紅の虞美人草《ぐびじんそう》が咲き乱れて、かよわい花弁がわずかな風にふるえていた。よく見ると鳥頭《とりかぶと》の紫の花もぽつぽつ交じって咲いていた。この死滅した昔の栄華と歓楽の殿堂の跡にこんなかよわいものが生き残っていた、石や煉瓦《れんが》はぽろぽろになっているのに。
 酒屋の店の跡も保存されてあった。パン屋の竈《かまど》の跡や、粉をこねた臼《うす》のようなものもころがっていた。娼家《しょうか》の入り口の軒には大きな石の 
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