るわけであろう。
この航海のおもなる使命は純学術的よりはむしろより多く経済的なものであって、それも単にロシアの氷海を太平洋に連絡させるというのみでなく、莫大《ばくだい》な富源の宝庫ヤクーツクの関門と見るべきレナ河口と、ドヴィナ湾との間に安全な定期航路を設定しようというのだそうである。
映画「トルクシブ」を見たときに、スクリーンに現われた地図の上を一本の光の線で示された鉄路の触手がにょろにょろと南に延びて行ってヒマラヤの北に近づくを見た。今度の探険隊員の講演の際壁にかけられた粗末な北氷洋の海図の上を赤い線で示された航路の触手がするすると東に延びて、それがベーリング海峡を越えて横浜まで届くのを見た。さて、この次の三本目の触手はどこへ向かって延びるかが気になる。
一九〇九年の夏帝都セントピータースバーグを見物した時には大学の理科の先生たちはたいてい休暇でどこかへ旅行していて留守であった。気象台の測器検定室の一隅《いちぐう》には聖母像を祭ってあって、それにあかあかとお燈明が上がっていた。イサーク寺では僧正の法衣《ほうえ》の裾《すそ》に接吻《せっぷん》する善男善女の群れを見、十字架上の耶蘇《やそ》の寝像のガラスぶたには多くのくちびるのあとが歴然と印録されていた。
通例日本の学者の目に触れるロシアの学者の仕事は、たいてい、ドイツあたりの学術雑誌を通して間接に見るだけであるが、科学の国としてのロシアの独立なる存在は、かの国の国是の変わった今日でもなおわれわれの目にはあまり濃厚な影を宿さなかったのであるが、今回の突然なシビリアコフ号の太平洋出現は真に閃電《せんでん》のごとく日本の学界の上に強い印象の光を投げたであろうと思われる。
ソビエト政府はこれらの学術的探険のために五百五十万ルーブリを投じたそうである。東洋の学術国日本の政府が学術のために現にどれだけの金を出しているかが知りたいものである。
新聞で見るとソビエトの五か年計画の一つとしてハバロフスクに百三十キロの大放送局を建設し、イルクーツク以東に二十キロ以上の放送局を五十か所作るということである。これが実現した暁には北西の空からあらゆる波長の電磁波の怒濤《どとう》が澎湃《ほうはい》としてわが国土に襲来するであろう。
思想などというものは物質的には夢のようなものである。半世紀たたないうちに消えてしまわなければ変化してしまう。日本には昔からずいぶんいろいろな危険思想が海外から幾度となく輸入されたが、それが抑圧に抗しながらやっと土着するころにはいつのまにかすっかり消化され日本化されてしまって結局はみんな大日本を肥やす肥料になっていた。
しかし科学的物質的の侵略の波は決して夢のようなものではない。これにはやはり科学的物質的の対策を要する。将来の外交はもはやジュネヴで演説をしたり、たんかを切ってうれしがるだけではすまなくなるであろう。北氷洋に中央アジアに、また太平洋に成層圏に科学的触手を延ばして一方では世界人類の福利のために貢献すると同時に、他方ではまた他の科学国と対等の力をもって科学的な競技場上に相《あい》角逐《かくちく》しなければおそらく一国の存在を確保することは不可能になるであろうと思われる。まさにこの意味においても日本が今「非常時」に際会していることを政府も国民も考えてもらいたいものである。
北氷洋の氷の割れる音は近づく運命の秋を警告する桐《きり》の一葉の軒を打つ音のようにも思われるのである。
[#地から3字上げ](昭和八年一月、鉄塔)
底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年5月18日作成
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