ために倒れてしまった。
 生死ということが単に銅貨を投げて裏が出るか表が出るかというような簡単なことであれば、三遍続けて裏が出るのも、三遍つづいて表が出るのも、少しも不思議な事ではない。もう少し複雑な場合でも、全く偶然な暗合で特殊な事件が続発して、プロバビリティの方則を知らない世人に奇異の念を起させたり、超自然的な因果を想わせる例はいくらでもある。それで私は三人の同窓の死だけから他のものの死の機会を推算するような不合理をあえてしようとは思わない。
 そうかと云って私はまた全くそういう推算の可能性を否定してしまうだけの証拠も持ち合せない。
 例えばある家庭で、同じ疫痢《えきり》のために二人の女の児を引続いて失ったとする。そして死んだ年齢が二人ともに四歳で月までもほぼ同じであり、その上に死んだ時季が同じように夏始めのある月であったとしたら、どうであろう。この場合にはもはや偶然あるいは超自然的因果の境界から自然科学的の範囲に一歩を踏み込んでいるように思われて来る。
 そういう方面から考えて行くと、同時代に生れて同様な趣味や目的をもって、同じ学校生活を果した後に、また同じような雰囲気の中に働い
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