を発見しようとして被与材料を統計的に調査する時に、ある短い期間については著しい週期を得るにかかわらず、あまり期間を長く採るとそれが消失するような事が往々ある。そのような場合に、短期の材料から得た週期が単に偶然的のものである場合もあるが、またそうでない場合がある。ある期間だけ継続する週期的現象の群が濫発的に錯綜《さくそう》して起る時がそうである。
これはただ一つの類例に過ぎないが、厄年の場合でも材料の選み方によってはあるいは意外な結果に到着する事がないものだろうか。例えば時代や、季節や、人間の階級や、死因や、そういう標識に従って類別すれば現われ得べき曲線上の隆起が、各類によって位置を異にしたりするために、すべてを重ね合すことによって消失するのではあるまいか。
このような空想に耽《ふけ》ってみたが、結局は統計学者にでも相談する外はなかった。しかしそんな空想に耳を傾けてくれる学者が手近にあるかないか見当が付かなかった。
それはとにかくとして最近に私の少数な十に足りない同窓の中で三人まで、わずかの期間に相次いで亡くなった。いずれも四十二を中心とする厄年の範囲に含まれ得べき有為な年齢に病の
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