自分の描いておいた絵を見せたりして閑談に耽《ふけ》るのがあの頃の子規の一つの楽しみであったろうということも想像される。
 ともかくもあの頃の『ホトトギス』には何となしに活々《いきいき》とした創成の喜びと云ったようなものが溢れこぼれていたような気がするのであるが、それは半分は読者の自分がまだ若かったためかもしれない。しかしそうばかりでもないかもしれない。食物に譬《たと》えれば栄養価は乏しくても豊富なるビタミンを含有していた。そうして他にはこれに代わるべき御馳走はほとんどなかった。それが、大正昭和と俳句隆盛時代の経過するうちに、栄養に富んだ食物も増し料理法も進歩したことはたしかであるが同時にビタミンの含有比率が減って来て、缶詰料理やいかもの喰いの趣味も発達し、その結果|敗血症《はいけつしょう》の流行を来したと云ったような傾向がないとも限らない。
 こうした輪廻《サイクル》の道程がもう一歩進んで墮落と廃頽の極に達し俳句が再び「宗匠」と「床屋」の占有物となる時代が来ると、そこではじめて次の輪廻の第一歩が始まるのではないかという気もする。その前にはどうしても一度行きつくところまで行く必要があるであろう。
 事によると明治維新後の俳句の真の黄金時代はかえって明治三十年代にあったのではないかという気もするのである。もちろんこれは自分等の年輩のものの自分勝手な見方ではあろうが、こうした見方もあるいは現代の俳人に多少の参考にはなるかもしれないと思ったので思い出話のついでに拙ない世迷言《よまいごと》を並べてみた次第である。[#地から1字上げ](昭和九年九月『俳句研究』)



底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店
   1996(平成8)年12月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2004年3月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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