近眼で文字の大きい漢籍でも眼鏡にくつつけるやうにして読んだ。授業中によく生徒が後の方の窓から抜出した。誰かゞ話しでもして居ると教壇から下りて来て、いきなり嫌疑者をつかまへて叱責した、はたから人違ひを弁明しても「インニヤ、ふだんが悪い」と云つて聞かれなかつた。作文の時間にはよく黒板一杯に南画の風景を描いて「サア、此れを書いて」と云つて独り悦に入るのであつた。
 国語では徒然草や大鏡をMZ先生から教はつた。此の先生の時にはよく昔話をねだつて、色々の面白い懐旧談を聞かされた。此方が正則の授業よりは遥に面白かつたのみならず、実際有益でもあつたやうに思はれる。維新前の死罪、打首、鎗試し、火あぶりの実見談などを、昔の人には珍らしい科学的な記載によつて話された時などは一人の生徒が脳貧血を起して退席した位であつた。
 新しい英語の先生と、それとは全く対蹠的な此等の先生との中間の地帯には、大学を出てから間のない若くて元気で愉快で生徒の信望を集めた先生達が光つて居た。漢文国語の先生から祖先の日本に関する知識と親しみを植付けられる一方で、此等の若い先生達から新しい日本への憧憬と希望を吹込まれて居た生徒の眼前
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