その方則を述べる字句の巧拙や運算の器用不器用は必ずしもその方則の価値と比例しないのと一般であろう。
むしろあまりに悪達者な漫画家の技巧がその内容と反比例を示す場合も少なくないように見える。それは技巧が跳躍して科学的真の圏外に逸出するためである。
こういう意味で私は本当の漫画と低級なポンチあるいはくすぐり画とを区別したい。後者の実例は場末の玩具屋《おもちゃや》の店頭で見られる安絵本のポンチなどがそれである。そこには尊い真は失われて残るものは虚偽と醜陋《しゅうろう》な悪趣味だけである。美しい子供の頭にこういうものの影を宿す事は一つの罪悪であらねばならぬ。
私は滑稽という事がここにいわゆる漫画の本質的条件とは考えていない。もし私の考えているすべての漫画を滑稽であるとすれば、それは畢竟人間の真その物が滑稽な分子を含んでいるという事になるだろうと思う。同時に滑稽というものは極めて真面目な悲痛なものだという結論も生れるだろう。
そうはいうものの私は例えばミレーの田園風俗画とスタンランの漫画との間に或る区別を感じない訳ではない。しかしその二つの世界の限界を定めようとする時にドーミエーやゴヤや
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