々な人間の間に師弟の関係を生じる一つの因縁にならないとは限らぬ。もしそうだとすれば先生と弟子とが同じ病気にかかる確率《プロバビリティ》は、全く縁のない二人がそうなるより大きいかもしれない。病気が同じならば同じ時候によけいに悪くなるのはむしろありそうな事である。こんな事を考えたりした。そしてその時にはこれがたいへんに確実な理論《セオリー》ででもあるような気がしたのであった。
退院するころには蘭《らん》の花もすっかり枯れて葉ばかりになった。ポインセチアも頂上の赤い葉だけが鳥毛のようになって残っていた。サイクラメンもおおかたしなびてしまった。しかしベコニアだけは三つとも色はあせながらもまだ咲き残っていた。それでともかくもみんな退院の荷車に載せて持ち帰るつもりでいたが、あいにくその日雨が降りだした、そして荷車には雨おおいがないというので人力車で荷物を運ぶ事になった。それがために花鉢《はなばち》は皆残して行く事にした。看護婦に、迷惑だろうがどうにか始末をしてもらいたいと頼んだら「いただきます」と答えてニコニコしていたので安心した。ただO君からもらった寄せ植えの鉢《はち》だけはまだ花の色もあざやかであるから惜しいと言って、妻がひざの上にのせて持ち帰った。しばらくはそれを応接間へ出してあったが、後には縁側の外の盆栽台に置かれたままで、毎夜の霜にさらされていた。ベコニアはすっかり枯れて茎だけが折れた杉箸《すぎばし》のようになり、蟹《かに》シャボの花も葉もうだったようにベトベトに白くなって鉢《はち》にへばりついている。アスパラガスの紗《しゃ》のような葉だけはまだ一部分濃い緑を保って立っている。
三週間余り入院している間に自分の周囲にも内部にもいろいろの出来事が起こった。いろいろの書物を読んでいろいろの事も考えた。いろいろの人が来ていろいろの光や影を自分の心の奥に投げ入れた。しかしそれについては別に何事も書き残しておくまいと思う。今こうしてただ病室をにぎわしてくれた花の事だけを書いてみると入院中の自分の生活のあらゆるものがこれで尽くされたような気がする。人が見たらなんでもないこの貧しい記録も自分にとってはあらゆる忘れがたい貴重な経験の総目次になるように思われる。
[#地から3字上げ](大正九年五月、アララギ)
底本:「寺田寅彦随筆集 第一巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1947(昭和22)年2月5日第1刷発行
1963(昭和38)年10月16日第28刷改版発行
1997(平成9)年12月15日第81刷発行
入力:田辺浩昭
校正:かとうかおり
2003年5月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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