取り寄せた「近世美術」を見たら、その中にロージャー・フライという人がこの花を主題にして描いた水彩があったのでそれがわかった。この絵に付した解説にこんな事が書いてある。「この絵はほんとうに特徴のスタディと呼ばるべきものである。物をそのままに見て、そして偏見なしに描こうとする近代の試みの好適例であるうんぬん。」壁に布切れやしわくちゃの紙片をだらしなく貼《は》りつけたのをバックにして、平凡な牛乳びんに二本のポインセチアが無雑作《むぞうさ》に突きさしてあるだけである。全体の感じはなるほど悪くないが、今|枕《まくら》もとにある本物と比べて見ると、どうもなんだか葉の排列のしかたがおかしい。植物学者の目で見ればこれは確かに間違っている。しかし前の解説を書いた美術批評家は上のような賛辞を呈している。この批評家のいっている事はずいぶんいいかげんのようにも思われるが、また考え直してみるとほんとうのようにも思われた。
看護婦は毎朝これらの花鉢《はなばち》を室外へ持ち出して水をやってくれた。そのたびごとに廊下でだれかが「マアきれいな花ですこと」とぎょうさんにほめる声が聞こえた。ベコニアや蘭《らん》の勢いのいいのに比べて、ポインセチアは次第に弱るように見えた。まっすぐに長い茎のまわりに規則正しい間隔をおいて輪生した緑の葉がだんだんに黄緑色に変わって来るのであった。水をやりすぎるためではないかと思われたから看護婦にも妻にもそう注意した。しかし積極的にさしずをするだけの知識はないからそのままに任せておいた。そのうちに葉は次第につやが無くなり、黄みが勝って来て、とうとう下のほうの葉が一つ二つ落ち始めた。残った葉もほんのちょっと指先でさわるだけでもろく落ちるのであった。何かしら強い活力で幹から吹き出しているように見えた威勢のよかった葉がきわめてわずかな圧力にも堪えず、わけもなく落ちるのが不思議なようにも思われた。このようにして根もとに近いほうから順序正しくだんだんに脱落して行くのであった。
S君がまたベコニアを届けてくれた。大きさは前にT君からもらったのと同じくらいであった。しかし前のに比べて花の色も葉の色もいったいに薄くてなんとなくさびしかった。そのかわりまたなんとなくあっさりした野の花のような趣はあった。同じ種類の花でありながら培養の方法や周囲の状況の相違でこれほどにもちがったものができるか
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