クラメンという名前よりこの名のほうがなんとなくふさわしいような感じがする。あの女先生はその後どうしたのか。日本の留学生ばかりを弟子《でし》にして生活していたのが、大戦の爆発と共に留学生は皆引き上げるし、同時に日本人に対する市民の反感が高まった時に、なんらかのいやな経験をしたのではあるまいか、その後の生計をどうして立てて行ったろうか。これは何かのおりには時々思い出す事であった。先生は結婚後まもなく夫のドクトルに死なれ、退役軍人の父親と、夫の忘れがたみで、当時十四ぐらいであった娘のヒルデガルトと二人でさびしく暮らしていた。よくはわからぬが父親とはあまり仲がよくないらしかった。ある日われわれお弟子《でし》仲間二三人でこのヒルデガルトを連れて、ルイゼン座のおとぎ芝居を見に行った事がある。芝居は「雪姫」であった。観客の大部分は無論子供であったので、われわれ異国の大供連はなんだか少しきまりが悪いようであった。王妃に扮《ふん》した女優は恐ろしく肥《ふと》った女であったが、美しい声で「鏡よ鏡よ」を歌った。それから二三日たって聞いてみると、ちょうどその晩に先生は激烈な腹部の痙攣《けいれん》を起こして大騒ぎをしたとの事であった。先生の目の周囲には青黒い輪が歴然と残っていた。自分はなんという理由なしに、この病気を起こさせた責任が自分らにあるような気がしてしかたがなかった。とにかくおとぎ芝居へ行ったのはただあの時一度だけであった。
 五歳になる雪子《ゆきこ》が姉につれられて病院へ見舞いに来た。始めのうちはおとなしくして看護婦の顔ばかり見て黙っていたが、だんだんに慣れて来て、おしまいにはとうとう寝台の上まで上がり込んで来た。そして枕《まくら》もとの花鉢《はなばち》をのぞき込んで、葉陰にかくれた木札を見つけ、かなで書いた花の名を一つ一つ大きな声で読み上げた、その読み方がおかしいので皆が笑った。近ごろかたかなを覚えたものだから、なんでもかたかなさえ見れば読んでみなくてはいられないのである。それから後は来るたびごとに寝台にすわりこんで、この花の名を読まない事はなかった。自分は今さらのように「文字」というものの不思議な意味を考えさせられ、また人間の知識の未来というような事についてもいろいろの事を考えさせられた。
 ポインセチアとはいったいどうつづるのか知りたいと思っていた。偶然|丸善《まるぜん》から
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