われている。
 正月の休みで、外には誰も通る人がない。旧解剖学教室、生理学教室の廃墟には冬枯れの雑草ががらがらに干からびて哀れである。いかめしい城郭のようなライブラリーも柔らかで憂鬱な霧の薄絹に包まれている。
 涙の女はゆっくりゆっくり図書館の方へ歩いて行く。しばらくして、もう一遍振返って見ると、女は引返してまたこっちへゆっくりゆっくり歩いて来るらしい。可哀相に。
 からだの怪我や片輪は、直るものなら病院で直してくれる。傷ついた心、不具な理性を直してくれる病院はないものか。昔はそれがあった。それが近代の思想の嵐に倒潰した。そうしてこれに代わるべき新しい病院はまだ建たぬ。可愛相に。
 病院も正月で静かである。病室は明るく温かい。窓の下では羽根をついている。今日も雀は居る。昨日の雀だかどうかは分からない。雀はどれを見ても人間には同じである。
[#地から1字上げ](昭和八年四月『文学青年』)



底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店
   1996(平成8)年12月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2004年3月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インタ
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