る。
H首相が入院していた時の物々しい警戒を思い出す。悪いことをしないものは恐ろしくて通れなかった。
昔の医科大学の時計台もとくに無くなった。去年札幌へ行って、明治時代の時計台建築の遺物を見て涙が出そうな気がした。年を取ると涙腺の居ずまいが変ると見える。
「鉄門」も塞がれた。鉄門という言葉は明治時代の隅田川のボートレースと土手の桜を思い出させる。鉄門が無くなって、隅田堤がコンクリートで堅まれば、ボートレースの概念もやはり変って来る。明治の隅田川はもうなくなった。ただの荒川下流になった。
またある日。
本郷区役所がコンクリートの豆腐に変った。隣りのからたち寺の樹立《こだち》、これだけは昔のままらしい。
電柱の雀がからたち寺へ飛んで行く。人間の世界は何もかも変って行くが、雀はおそらく千年前の雀と同じであろう。
またある日。
赤門からはいって行く。欅《けやき》の並木をつつむ真昼の寒い霧。向うから幸福な二人連れが来てすれちがう。また向うからただ一人、洋紅色のコートを着た若い令嬢が俯向いたまま白いショールで口を蔽《おお》うて、ゆっくりゆっくり歩いて来る。血色のいい頬、その頬が涙で洗われている。
正月の休みで、外には誰も通る人がない。旧解剖学教室、生理学教室の廃墟には冬枯れの雑草ががらがらに干からびて哀れである。いかめしい城郭のようなライブラリーも柔らかで憂鬱な霧の薄絹に包まれている。
涙の女はゆっくりゆっくり図書館の方へ歩いて行く。しばらくして、もう一遍振返って見ると、女は引返してまたこっちへゆっくりゆっくり歩いて来るらしい。可哀相に。
からだの怪我や片輪は、直るものなら病院で直してくれる。傷ついた心、不具な理性を直してくれる病院はないものか。昔はそれがあった。それが近代の思想の嵐に倒潰した。そうしてこれに代わるべき新しい病院はまだ建たぬ。可愛相に。
病院も正月で静かである。病室は明るく温かい。窓の下では羽根をついている。今日も雀は居る。昨日の雀だかどうかは分からない。雀はどれを見ても人間には同じである。
[#地から1字上げ](昭和八年四月『文学青年』)
底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店
1996(平成8)年12月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2004年3月24日作成
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