彼は今はW大学の数学の先生である。三十年前にはよくTMと一緒に本郷、神田、下谷《したや》と連立《つれだ》って歩いた。壱岐殿坂《いきどのざか》教会で海老名弾正《えびなだんじょう》の説教を聞いた。池《いけ》の端《はた》のミルクホールで物質とエネルギーと神とを論じた。
TMの家の前が加賀様の盲長屋《めくらながや》である。震災に焼けなかったお蔭で、ぼろぼろにはなったが、昔の姿の名残を止めている。ここの屋根の下に賄《まかな》いの小川の食堂があって、谷中《やなか》のお寺に下宿していた学生時代に、時々昼食を食いに行った。オムレツと焼玉子の合の子のようなものが、メニューの中にあった。「味つき」と「味なし」と二通りあった。「オイ、味なし」。「味つき」。そういうどら声があちらこちらに聞こえた。今は雑使婦か何かの宿舎になっているらしい。そのボロボロの長屋に柿色や萌黄の蛇《じゃ》の目《め》の傘が出入りしている。
またある日。
蒲団を積んだ手荷車が盲長屋の裏を向うへ、ゆるやかな坂を向うへ上って行く。貸夜具屋が病院からの電話で持込むところと想定してみる。突当りを右へ廻れば病院の門である。しかし車は突当りまで行って止った。そこの曲り角の処で荷物をほごしている。曲り角には家はないはずである。分からない。どう考えてもこの蒲団の行方は分からない。余所の蒲団の行先は分からない。
この角の向側に牛肉屋の豊国《とよくに》がある。学生の頃の最大のラキジュリーは豊国の牛鍋《ぎゅうなべ》であった。色々の集会もここであった。天文関係の人が寄ったときにその頃発見された新星ノヴァ・ペルセイの話が出た。新星と豊国がその時から結合した。磁力測量に使う磁石棒の長さをミクロンまで精密に測ろうとして骨折った頃にもよく豊国の牛肉を食った。磁石と豊国とがその時から結合した。
解剖学のO教授もよくここの昼食を食いに来ていた。ドイツ生れのO夫人がちゃんと時刻をたがえずやって来て一つの鍋のロースを日本の箸ではさんでいた。三十余年前にはこれが珍しかった。
ある夜。
岩崎の森の梢に松坂屋の照明が見える。寒い暗い都会霧の中に夢のワルハラのごとく光の宮を浮上がらせる。
上野の動物園の森で一度に鳴き出す色々の鳥類のけたたましい声が聞こえる。
廊下から中央階段を降りようとする途中で窓越しに東を見ると、地下鉄ビルの照明が見える。サッポ
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