事柄を初学者に吹き込む事の可否である。中学校で物理学を教える場合に、方則の成立や意義や弱点を暗示するのは却って迷いを生じ誤解を起すという説もある。自分は教育家でないが、ただ自分一己の経験から推して考えれば、既に初学の時代にこの種の暗示を与える方が却って理解と興味を助長し研究的批評的の精神を鼓吹《こすい》するのではないかと思う。実際、物理学教科書にある方則と寄宿舎の規則との区別を自覚している生徒がどれだけあるか疑わしい。方則が日常身辺に行われている現象と如何なる交渉があるかも呑込むのは容易でないように見える。今これらの事柄を生徒に教えようとすれば如何に教うべきかという事が困難な問題である。しかし中学校では既に倫理道徳などという事すら教えているではないか。生徒の老成後の倫理道徳観が中学校で教わった所と如何ほど懸隔しても仕方がない。やはり中学校の倫理は無益ではない。自分は科学というものの方法や価値や限界などを多少でも暗示する事が却って百千の事実方則を暗記させるより有益だと信じたい。そうすれば今日ほど世人が科学の真面目《しんめんぼく》を誤解するような虞《おそれ》が少なくなり、また一方では科学的
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