さえ危険思想宣伝の種にする先生方の手にかかれば老子はもちろん孔子でも孟子でも釈尊でもマホメットでもどのような風に解釈されどのような道具に使われるかそれは分からない。しかし『道徳教』でも『論語』でもコーランでも結局はわれわれの智恵を養う蛋白質《たんぱくしつ》や脂肪や澱粉《でんぷん》である。たまたま腐った蛋白を喰って中毒した人があったからと云って蛋白質を厳禁すれば衰弱する。
 電車で逢った背広服の老子のどの言葉を国定教科書の中に入れていけないといういわれを見出すことが出来なかった。日本魂を腐蝕する毒素の代りにそれを現代に活かす霊液でも、捜せばこの智恵の泉の底から湧《わ》き出すかもしれない。
 電車で逢った老子はうららかであった。電車の窓越しに人の頸筋《くびすじ》を撫《な》でる小春の日光のようにうららかであったのである。

      二 二千年前に電波通信法があった話

 欧洲大戦の正に酣《たけなわ》なる頃、アメリカのイリノイス大学の先生方が寄り集まって古代ギリシアの兵法書の翻訳を始めた。その訳《わけ》は、人間の頭で考え得られる大概の事は昔のギリシア人が考えてしまっている、それだからギリシアの戦術を研究すれば何かしらきっと今度の戦争に役に立つような、参考になるようなうまい考えの掘出しものが見付かるだろう、というのであった。それで大勢のギリシア学者が寄合い討論をして翻訳をした、その結果が「ロイブ古典叢書」の一冊として出版され我邦《わがくに》にも輸入されている。その巻頭に訳載されている「兵法家アイネアス」を冬の夜長の催眠剤のつもりで読んでみた。読んでいるうちに実に意外にも今を去る二千数百年前のギリシア人が実に巧妙な方法でしかも電波によって遠距離通信《テレグラフィー》を実行していたという驚くべき記録に逢ってすっかり眠気をさまされてしまったのである。尤《もっと》も電波とは云ってもそれは今のラジオのような波長の長い電波ではなくて、ずっと波長の短い光波を使った烽火《のろし》の一種であるからそれだけならばあえて珍しくない、と云えば云われるかもしれないが、しかしその通信の方法は全く掛け値なしに巧妙なものといわなければならない。その方法というのは次のようなものである。
 先ず同じ形で同じ寸法の壺のような土器を二つ揃える。次にこの器の口よりもずっと小さい木栓を一つずつ作ってその真中におのお
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