ないので、ついついおしまいまで通読する機会がなく、従って老子に関する概念さえなしにこの年月を過ごして来たのであった。
つい近頃本屋の棚で薄っぺらな「インゼル・ビュフェライ叢書」をひやかしていたら、アレクサンダー・ウラールという人の『老子』というのが出て来た。たった七十一頁の小冊子である。値段が安いのと表紙の色刷の模様が面白いのとで何の気なしにそれを買って電車に乗った。そうしてところどころをあけて読んでみるとなかなか面白いことが書いてあって、それが実によくわかる。面白いから通読してみる気になって第一頁から順々に読んで行った。原著の方は知らないのであるから誤訳があろうがあるまいが、そんなことは分かるはずもなし、またいくらちがっていてもそんなことは構わない。ただいかにも面白いのでうかうかと二、三十章を一《ひ》と息《いき》に読んでしまった。そうしてその後二、三回の電車の道中に知らず知らず全巻を卒業してしまったのである。
不思議なことには、このドイツ語で紹介された老子はもはや薄汚い唐人服を着たにがにがとこわい顔をした貧血老人ではなくて、さっぱりとした明るい色の背広に暖かそうなオーバーを着た童顔でブロンドのドイツ人である。どこかケーベルさんに似ている、というよりはむしろケーベルさんそっくりの老人である。それが電車の中で隣席に腰かけていて、そうして明晰に爽快なドイツ語でゆっくりゆっくり自分に分かるように話してくれるのである。その話が実に面白い。哲学の講義のようでもあり、また最も実用的な処世訓のようでもあり、どうかするとまた相対性理論や非ユークリッド幾何学の話のようでもある。そうかと思うと、また今の時節には少しどうかと心配されるような非戦論を滔々《とうとう》と述べ聞かすのであった。
同じ思想が、支那服を着ていてそうして栄養不良の漢学者に手を引かれてよぼよぼ出て来たのではどうしても理解が出来なかったのに、それが背広にオーバー姿で電車の中でひょっくり隣合ってドイツ語で話しかけられたばかりに一遍に友達になってしまったような体裁である。こんなことから考えてみると、我国固有の国民思想を保存し涵養《かんよう》させるのでも、いつまでも源平時代の鎧兜《よろいかぶと》を着た日本魂《やまとだましい》や、滋籐《しげどう》の弓を提《さ》げた忠君愛国ばかりを学校で教えるよりも、時にはやはり背広を着て折
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