一方で、そういう罪悪とおよそ懸けはなれたと思われる清浄|無垢《むく》の人間が、自分も他人も誰知らぬ間に駆足で飛んで来てそうした淵の中に一目散《いちもくさん》に飛込んでしまうこともあるようである。心の罪の重荷が足にからまって自由を束縛されている人間は却《かえ》って現実の罪の境界線が越えにくいということもあるかもしれないのである。
今に戦争になるかもしれないというかなりに大きな確率を眼前に認めて、国々が一生懸命に負けない用意をして、そうしてなるべくなら戦争にならないで世界の平和を存続したいという念願を忘れずにいれば、存外永遠の平和が保たれるかもしれないと思われる。もしも、いつも半分風邪を引いているのが風邪を引かぬための妙策だという変痴奇論《へんちきろん》に半面の真理が含まれているとすると、その類推からして、いつも非常時の一歩手前の心持を持続するのが本当の非常時を招致しないための護符になるという変痴奇論にもまたいくらかの真実があるかもしれないと思われる。
このような変痴奇論を敷衍《ふえん》して行くと実に途方もない妙な議論が色々生まれて来るらしい。例えば孔子の教えた中庸ということでも解釈のしようによっては「いつも半分風邪を引いているように」という風に受取れるかもしれない。生まれてから七、八十歳で死ぬまで一度も風邪を引かないような人があったら、はたが迷惑かもしれない。クリストに云わせても、それほどに健康ではち切れそうだと、狭い天国の門を潜るにも都合が悪いであろう。
あえて半分風邪を引くことを人にすすめるのではない。弱いものの負惜しみの中にも半面の真があるというだけの話である。
星の世界の住民が大砲弾に乗込んで地球に進入し、ロンドン附近で散々に暴れ廻り、今にも地球が焦土となるかと思っていると、どうしたことか急にぱったりと活動を停止する。変だと思ってよく調べてみると、星の世界には悪い黴菌がいないために黴菌に対する抗毒素を持合わせない彼《か》の星の住民は、地球上の数々の黴菌に会って一たまりもなく全滅した。こういう架空小説を書いた人がある。
あまり理想的に完全なマスクをかけて歩いているとついマスクを取った瞬間にこの星の国の住民のような目に会いはしないか。そんなことを考えると、うっかりマスクを人にすすめることも出来ない。それかと云ってマスクをやめろと人に強《し》いる勇気もない
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