るという幸運を持合せたのであろう。何が仕合せになるかもしれないのである。
四 半分風邪を引いていると風邪を引かぬ話
流感が流行《はや》るという噂である。竹の花が咲くと流感が流行るという説があったが今年はどうであったか。マスクをかけて歩く人が多いということは感冒が流行している証拠にはならない。流行の噂に恐怖している人の多いという証拠になるだけである。
流感は初期にかかると軽いが後になるほど悪性だとよく人が云う。黴菌《ばいきん》がだんだん悪ずれがして来て黴菌の「ヒト」が悪くなるせいでもなさそうである。
流行の初期に慌《あわ》てて罹る人は元来抵抗力の弱い人ではないかと思う。そういう弱い人は、ちょっと少しばかり熱でも出るとすぐにまいってしまって欠勤して蒲団《ふとん》を引っかぶって寝込んで静養する。すればどんな病気でも大抵は軽症ですんでしまう。ところが、抵抗力の強い人は罹病《りびょう》の確率が少ないから統計上自然に跡廻しになりやすい、そうしてそういう人は罹っても少々のことではなかなか最初から降参してしまわない。そうして不必要で危険な我慢をし無理をする、すれば大抵の病気は悪くなる。そうしていよいよ寝込む頃にはもうだいぶ病気は亢進《こうしん》して危険に接近しているであろう。実際平生丈夫な人の中には、無理をして病気をこじらせるのを最高の栄誉と思っているのではないかと思われる人もあるようである。
自慢にならぬことを自慢するようで可笑《おか》しいが、自分などは冬中はいつでも半分風邪を引いている。詳しく言えば、風邪の症状を軽微なる程度において不断に享楽している。無理をしたくても出来ないという有難い状況に常住しているのである。そのために、あらゆる義理を欠き、あらゆる御無沙汰をして、寒さを逃げ廻っては、こそこそと一番大事なと思う仕事だけを少しずつしている。そのお蔭で幸いに今年はまだ流感に冒されず従って肺炎にもならずに今日までたどりついたような気がする。ましてや雪の山で遭難して世間を騒がす心配などは絶対になくてすんでいるわけである。
危険線のすぐ近くまで来てうろうろしているものが存外その境界線を越えずに済む、ということは病気ばかりとは限らないようである。ありとあらゆる罪悪の淵の崖の傍をうろうろして落込みはしないかとびくびくしている人間が存外生涯を無事に過ごすことがある
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