理実験を授けるべき教員は、教える前に自分で十分にすべての実験を練習し、あらゆる場合に遭遇し、あらゆる困難を切り抜けて来なければならないかという疑問が起る。しかしこれは云うべくして行い難い注文であって、そのような人を求めた所でそれは無理な事である。相当な専門家でもすべての場合にぶっつかって少しもまごつかぬという人は甚だ稀であろう。しかしこの点は少しも心配することはないと思う。もともと実験の教授というものは、軍隊の教練や昔の漢学者の経書の講義などのように高圧的にするべきものではなく、教員はただ生徒の主動的経験を適当に指導し、あるいは生徒と共同して新しい経験をするような心算《つもり》ですべきものと思う。簡単な実験でも何遍も繰返すうちには四囲の状況は種々に変化するから、結果に多少の異同や齟齬《そご》を来すのは常の事である。このような場合における教員の措置|如何《いかん》は生徒の科学的精神の死活に関するような影響を有するものと思う。この場合に結果を都合のよいようにこじつけたり、あるいは有耶無耶《うやむや》のうちに葬ったり、あるいは予期以外の結果を故意に回避したりするような傾向があってはならぬ。却
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