物理学と感覚
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)聾《つんぼ》な

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)普通|吾人《ごじん》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)信じる[#「信じる」に丸傍点]
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 人間がその周囲の自然界の事物に対する知識経験の基になる材料は、いずれも直接間接に吾人の五感を通じて供給されるものである。生まれつき盲目で視神経の能力を欠いた人間には色という言葉はなんらの意味を持たない、物体の性質から色という観念をぬき出して考える事がどうしてもできない。トルストイのおとぎ話に牛乳の白色という観念を盲者に理解させようとしてむだ骨折りをする話がある。雪のようだと言えばそんなに冷たいかとこたえ白うさぎのようだと言えばそんなに毛深い柔らかいのかと聞きかえした。
 それでもし生まれつき盲目でその上に聾《つんぼ》な人間があったら、その人の世界はただ触覚、嗅覚《きゅうかく》、味覚ならびに自分の筋肉の運動に連関して生ずる感覚のみの世界であって、われわれ普通な人間の時間や空間や物質に対する観念とはよほど違った
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