すればここに第一の仮定を置くのが便宜であるというまでである。絶対とか窮極の真理とかというものの存在を信じてそれを得ようと努力する人はこの点で第一に科学というものに失望しなければならない。科学者はなんらの弁証なしに吾人と独立な外界の存在を仮定してしまう。ただし必ずしもこれを信じる[#「信じる」に丸傍点]必要はない、科学者が個人としてこれ以上の点に立ち入って考える事は少しもさしつかえはないが、ただその人の科学者としての仕事はこれを仮定した上で始まるのである。もっともマッハのごときは感覚以外に実在はないと論じているが、彼のいわゆる感覚の世界は普通|吾人《ごじん》のいう外界の別名と考えればここに述べる所とはあえて矛盾しない。
外界の事物の存在を吾人が感ずるのは前述べたとおり直接間接に吾人の五感の助けによるものである。これらの官能が刺激されたために生ずる個々の知覚が記憶によって連絡されるとこれが一つの経験になる。このような経験が幾回も幾回も繰り返されている間にそこに漠然《ばくぜん》とした知識が生じて来る。この原始的な知識がさらに経験によってだんだんに吟味され取捨されて個人的一時的からだんだんに
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