も枇杷葉湯《びわようとう》売りのそれなどは、今ではもう忘れている人よりも知らぬ人が多いであろう。朱漆で塗った地に黒漆でからすの絵を描いたその下に烏丸《からすまる》枇杷葉湯と書いた一対の細長い箱を振り分けに肩にかついで「ホンケー、カラスマル、ビワヨーオートー」と終わりの「ヨートー」を長く清らかに引いて、呼び歩いていたようにも思うし、また木陰などに荷をおろして往来の人に呼びかけていたようにも思う。その声が妙に涼しいようでもあり、また暑いようでもあった。しかしその枇杷葉湯《びわようとう》がいったいどんなものだか、味わったことはもちろん見たこともなかった。そのころもうすでに大衆性《ポピュラリティ》を失ってしまって、ただわずかに過去の惰性のなごりをとどめていたのではないかと思われる。東京で震災前までは深川《ふかがわ》へんで見かけたことのあるあの定斎屋《じょさいや》と同じようなものであったらしいが、しかし枇杷葉湯のあの朱塗りの荷箱とすがすがしい呼び声とには、あのガッチンガッチンの定斎屋よりもはるかに多くの過去の夢と市井の詩とを包有していたような気がする。
 生菓子をいろいろ、四角で扁平《へんぺい》
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