いる。多数の人物を排した構図ではそれら人物の黒い頭を結合する多角形が非常に重要なプロットになっているのである。
 頭髪は観者の注意を強くひきつける事によっておのずから人物の顔を生かす原動力になっている。もしこの漆黒の髪がなかったら浮世絵の顔の線などは無意味な線の断片の集合に堕落してしまって画面全体に対する存在理由の希薄なものになってしまいそうである。
 頭髪の輪郭をなしているいろいろの曲線がまた非常に重要な役目をしている。歌麿《うたまろ》以前の名家の絵をよくよく注意して見ると髷《まげ》や鬢《びん》の輪郭の曲線がたいていの場合に眉毛《まゆげ》と目の線に並行しあるいは対応している。櫛《くし》の輪郭もやはり同じ基調のヴェリエーションを示している。同じ線のリズムの余波は、あるいは衣服の襟《えり》に、あるいは器物の外郭線に反映している。たとえば歌麿の美人一代五十三次の「とつか」では、二人の女の髷の頂上の丸んだ線は、二人の襟《えり》と二つの団扇《うちわ》に反響して顕著なリズムを形成している。写楽《しゃらく》の女の変な目や眉も、これが髷の線の余波として見た時に奇怪な感じは薄らいでただ美しい節奏を感じ
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