もっていたように思われる。このアペンディックスが邪魔にならないようにかなりな苦心を払っているような形跡が見える。少なくもこの点では清長のほうが歌麿よりもはるかにすぐれていると私は信じている。

 これだけのわずかな要点を抽出して考えても歌麿《うたまろ》以前と以後の浮世絵人物画の区別はずいぶん顕著なものである。
 たとえば豊国《とよくに》などでも、もう線の節奏が乱れ不必要な複雑さがさらにそれを破壊している。試みに豊国の酒樽《さかだる》を踏み台にして桜の枝につかまった女と、これによく似た春信《はるのぶ》の傘《かさ》をさして風に吹かれる女とを比較してみればすべてが明瞭《めいりょう》になりはしないか。後者において柳の枝までが顔や着物の線に合わせて音楽を奏しているのに、おそらく同じつもりでかいた前者の桜の枝はギクギクした雑音としか思われない。足袋《たび》をはいた足のいかつい線も打ちこわしである。しかし豊国などはその以後のものに比べればまだまだいいほうかもしれない。
 北斎《ほくさい》の描いたという珍しい美人画がある。その襟《えり》がたぶん緋鹿《ひが》の子《こ》か何かであろう、恐ろしくぎざぎざした縮れた線で描かれている。それで写実的な感じはするかもしれないが、線の交響楽として見た時に、肝心の第一ヴァイオリンがギーギーきしっているような感じしか与えない。これに反して、同じ北斎が自分の得意の領分へはいると同じぎざぎざした線がそこではおのずからな諧調《かいちょう》を奏してトレモロの響きをきくような感じを与えている。たとえば富岳三十六景の三島《みしま》を見ても、なぜ富士の輪郭があのように鋸歯状《きょしじょう》になっていなければならないかは、これに並行した木の枝や雲の頭や崖《がけ》を見れば合点される。そこにはやはり大きな基調の統一がある。
 しかしなめらかな毛髪や顔や肉体の輪郭を基調とした線の音楽としてのほとんど唯一の形式は、やはり古い浮世絵の領域を踏み出す事は困難に思われる。後代の浮世絵の失敗の原因はこの領域を無理解に逸出した事にありはしないだろうか。
 もしこの私の最後の考えが正しいとすれば、同じ事がたとえば彫刻や現代の西洋画にもある程度まで適用されはしないだろうか。これは少なくとも一顧に値するだけの問題にはなると思う。
 私はこれらの問題をいつかもう少し立ち入って考えてみたいと思っ
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