轤熹サ読される。「余情」や「面影」を尊び「いわぬところに心をかけ」、「ひえさびたる趣」を愛したのであるが、それらの古人の理想を十二分に実現した最初の人が芭蕉であったのである。
 さび、しおり、おもかげ、余情等種々な符号で現わされたものはすべて対象の表層における識閾《しきいき》よりも以下に潜在する真実の相貌《そうぼう》であって、しかも、それは散文的な言葉では言い現わすことができなくてほんとうの純粋の意味での詩によってのみ現わされうるものである。饒舌《じょうぜつ》よりはむしろ沈黙によって現わされうるものを十七字の幻術によってきわめていきいきと表現しようというのが俳諧の使命である。ホーマーやダンテの多弁では到底描くことのできない真実を、つば元まできり込んで、西瓜《すいか》を切るごとく、大木を倒すごとき意気込みをもって摘出し描写するのである。
 この幻術の秘訣《ひけつ》はどこにあるかと言えば、それは象徴の暗示によって読者の連想の活動を刺激するという修辞学的の方法によるほかはない。この方法が西欧で自覚的にもっぱら行なわれこれが本来の詩というものの本質であるとして高調されるに至ったのは比較的新しい
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