、。上は摂政関白武将より下は士農工商あらゆる階級の間に行なわれ、これらの人々の社会人としての活動生活の侶伴《りょはん》となってそれを助け導いて来たと思われる。風雅の心のない武将は人を御することも下手《へた》であり、風雅の道を解しない商人はおそらく金もうけも充分でなかったであろうし、朝顔の一|鉢《はち》を備えない裏長屋には夫婦げんかの回数が多かったであろうと思われる。これが日本人である。風雅の道はいかなる積極的活動的なる日本にも存在すべきものなのである。
風雅は自我を去ることによって得らるる心の自由であり、万象の正しい認識であるということから、和歌で理想とした典雅幽玄、俳諧の魂とされたさびしおりというものがおのずから生まれて来るのである。幽玄でなく[#「なく」に傍点]、さびしおりのない[#「ない」に傍点]ということは、露骨であり我慢であり、認識不足であり、従って浅薄であり粗雑であるということである。芭蕉のいわゆる寂《さ》びとは寂《さ》びしいことでなく仏教の寂滅でもない。しおりとは悲しいことや弱々しいことでは決してない。物の哀れというのも安直な感傷や宋襄《そうじょう》の仁《じん》を意味す
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